宮本武蔵 五輪書「仕事は死事」タクシー編

「朝鍛夕練」「実利主義」「合理主義」

役に立たないことはしない

「五輪書」の「地之巻」の終わりに、武蔵の人生観を表す言葉が書かれています。

その中に注目すべき言葉があります。

それは、

第五に、物事の損得をわきまゆる事

第九に、役に立たぬことをせざる事

である。武蔵は理にかなったことしかしなかった。合理的に利害と損得をわきまえたかったのであった。そしてそれは一見、実利主義そのものに見えるが、しかしこの実利主義は実は「斬る」ことに徹する実利なのであった。それはつぎの「五輪書」(水之巻)の言葉に明らかである。

““先づ太刀をとっては、いずれにしても、敵を斬るといふ心也。

若し敵のきる太刀を受ける、はる、あたる、ねばる、さはるなどといふ事あれども、みな敵をきる縁なりと心得べし。“”

これを見れば武蔵の合理主義、実利主義が何であるかがはっきりするのではないか。兵法は敵を斬ることが目的であり、斬ることができないような剣は無用な剣となる。

これは宮本武蔵の半生の経験からきた言葉なのである。

剣は道であることを体得したのは、武蔵の晩年のことであり、若い時には相手を倒す、斬り殺すということに一切をかけたのであった。

では、タクシーにおける合理主義とは?

実利主義とは?

合理主義:睡眠であろう

そして役に立たないことはしない

では、タクシーにおいて役に立たないこととは?

私がいつも説いている「3つの落とし穴」である

実利主義:売上1日10万

そして「朝鍛夕練」

これは渋谷、六本木、新宿であろう。

千日の渋谷、六本木、新宿、稽古

万日の渋谷、六本木、新宿、稽古

ワンメーターに感謝し全集中!!

こここそが不動の売上の境地であろう。

この武蔵の実利主義は、命がけの実利主義であった、普通の現代のわれわれがいう実利主義ではなく、生きるか死ぬかの実利主義であった。

「独行道」のなかに、

“道においては死をいとはずおもふ”

という言葉があるが、兵法の修行において死ぬことをまったくいとわぬのである。いつ、何時に死ぬのがまったくわからぬ兵法者の覚悟である。このように死をいとわぬ境地になりきるためにはどんな修行をしたらなれるのであろうか。

※五輪書の「水之巻」につぎの言葉がある。

千日の道をひと足ずつはこぶなり・・

千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。

鍛錬という言葉があるが、鍛とは千日の稽古であり、練とは万日の稽古なのである。それを武蔵は「朝鍛夕練」という言葉であらわすこともある。朝、夕の不動の鍛錬によって死をいとわぬ境地がつくられてゆく。

最後に、「神仏に祈っても売上は上がらぬのが道理、そして結果(売上)が自分の姿、対価と思え」

宮本武蔵 五輪書 「仕事は死事」タクシー編

著者 庄司年一